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地域の概要


■ 沿革
 米どころ、庄内平野の東南部、霊峰出羽三山の山麓を占める羽黒地域の生い立ちは、そのまま庄内の歩みであり、その歴史は遠い昔にさかのぼる。
 庄内平野がまだ内湾として、方々にその面影をとどめていた頃、羽黒地域にはすでに原住民が住みつき、集落をつくっていた。玉川遺跡や手向の蝦夷館跡などからの石器や土器などの発掘はそれを物語るもので、すでにこの頃に羽黒の歴史は始まっていたものとみられる。
 しかし、羽黒地域が記録の上に登場するのは、出羽三山の開祖といわれる第32代崇峻天皇の第一皇子、蜂子皇子が羽黒山を開かれた1400年前頃からであるが、当時の事情は歴然とはしていない。その後、大和朝廷が東北の開発に本腰を入れ、出羽柵を設け出羽郡をおいた。和銅元年(708年)以後、その統治のもとに徐々に開発が進められてゆき、その基盤がつくられている。 一方、羽黒山においては、羽黒山伏に代表される羽黒修験道が栄え、信仰を求めて訪れる老若男女は全国津々浦々までおよんだ。
 その後、幾多の変遷を経て、元和8年(1622年)酒井忠勝公が庄内に遷封され鶴岡に居城されて、その統治のもとに着々開拓が進められ、方々にまとまった集落ができ、今日の姿に展開してきた。
 明治2年の廃藩置県によって、大泉県さらに酒田県の管轄へとかわり、明治8年には鶴岡県になった。明治9年山形県に合併され、明治11年郡制により東田川郡に所属し、郡治の統治下になった。
 更に明治22年町村制が施行され、手向・泉・広瀬村が誕生。昭和30年2月1日、町村合併促進法のもとに3カ村が合併し、羽黒町が誕生。更に合併特例法のもと1市4町1村が合併し、平成17年10月1日に鶴岡市となった。

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メール:tsuruoka@city.tsuruoka.lg.jp(問い合わせ先)
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